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オフィスペロンチュ2

30代サラリーマンに向けた飲み会でのみ輝くムダ知識をまとめてます

【エッセイ】不正出血、切迫早産…それでも無事に出産した夫婦の体験記

体験記

いつもお世話になっております。
ペロンチュ真純です。

突然ですが父になりました。

「10月14日3356グラム、母子ともに健康。」

こう書いてしまえば
それは簡単な出来事に聞こえるかもしれない。
ですがここに至るまで道のりはとても長いものでした。

不正出血…切迫早産…3度の入院…。

診断される度に不安しかなかった。
全ての出来事が夫婦にとって未知との遭遇であり
受け入れる準備もないまま急に表れては去っていく。
まるでジェットコースターのようでした。

ただそれらを乗り越えて出産を無事に終えてみると
こんなにも自分は幸せだったのかという
幸福感で胸がいっぱいになります。

子供は可愛い。

これだけ苦労した分、愛しくてたまらない。

今日は、ほかのブログ記事とはテイストを変えて
エッセイ形式である夫婦の出産までの奮闘記を書きます。

2016年の春

子供はずっと出来なかった。

それはもう長い時間出来なかった。
おそらくぼくの体質だったんだろう。
検査すらしたことはないが
それでも不妊治療はしないと決めていた。

子供は自然に授かるもの。

その気持ちだけは変えたくなかった。

「子供ができなければネコでも飼おう。」
なんて笑い話をぼくらはよくしていた。

そんなある日、子供を授かったことを知る。

うれしかった。
本当にうれしかった。
それはもうめちゃくちゃ喜んだ。
お金はなかったけれど
そんなことちっぽけでどうでもよかった。

名前もすぐに決めた。

性別に関係なくつけられる名前にしたい。
そうして「葉月」と名付けた。
まだ2~3カ月のお腹に向かって
ぼくは毎日、声をかけた。

親に話すタイミング

安定期に入る前に
お互いの親に子供を授かったことを伝えた。

実は過去にも一度だけ授かったことがあるが
その時は一カ月を過ぎたあたりで成長せず
そのまま育つことはなかった。

大抵の夫婦はこの経験から

「安定期にまで待とう」

なんて思うかもしれないが
ぼくらは違った。

当時はメンタル的にかなり辛かった。
言い出すことも出来なかったのだから尚更だった。

だから今回は2人でそれをガマンするのではなく
その気持ちをあえて家族で分け合うことで
支え合いたかったのだ。

結果としてこれは良かったと思う。
そのまま安定期を迎えた。
ここまでは順調な日々だった。

不正出血

突然の出来事だった。

休日の昼に妻がガバッと布団から飛び起きた。
「なにかドロっと出た気がする」
妻がそういってトイレに駆け込むと
大量の出血をしていたのだ。

安定期、それはべつに安全という意味ではない。
流れてしまうことだってありえる。
そんなこと知ってはいても夫婦はパニック。

病院…病院…

とお世話になってる産婦人科に連絡して
大慌てでタクシーをひろい病院に向かった。

不安だけが先走る。
ただぼくが焦っても仕方ない。
「大丈夫だから」と妻には声をかけた。

診察を待つ時間がほんとうに長かった。
休日の病院の待合室は誰もいない。
秒針の音まで聞こえるほどだ。

それから診察を終えた妻から
「葉月まだお腹にいたよ」
と声をかけられる。安心した。涙が出そうだった。

絶対安静

子供は順調だった。

ただ子宮には血が溜まっていた。
その出血を抑える薬と
妻には絶対安静が言い渡された。

「料理や洗濯は一切しないでください。」

病院の先生がそういった。

トイレに立つ以外はとにかく寝る。
それだけが子供を無事に育つ方法だというなら
ぼくは全力で支えようと思った。

ただそうはいっても7時~21時までぼくは仕事。
恥ずかしながら料理も出来ない。
洗濯もずっと任せっきりで
まともに出来なかったほどだ。

それでもやらなきゃいけない。
朝昼晩とすべて用意して妻は食べるだけにした。

寝続ける。それを介護する。
これがどれほど大変なことかはじめて知った。

安静解除と反動

それから一カ月半ほどで安静は解除された。
ぼくにはとても長く感じたが
おそらく妻も一緒だろう。

出血も最初の2週間で止まり
子供も順調に育っている。
ほんとジェットコースターのような日々。
喜びと不安とを繰り返していた。

このあたりで「時間」の大切さを意識する。

今の仕事だと子供を育てるのに環境が悪いと
絶対安静の期間で身に染みるほど感じていた。
給与がよくてもいるだけで浪費させられる。
そんな町にいるよりも「時間」を
ゆったり感じられる場所で子育てをしたい。

もしこのまま都内に残ったとして
子育てを手伝いたくても
時間的には妻に任せきりになる。
せっかく待望の我が子が産まれるのに
それが逆にストレスになるのも可哀想だ。

タイミングがいいのか悪いのか
都内の待機児童問題がニュースで騒がれている。

思い切って地方移住を考える。
場所は中学高校の時期にぼくが育った能登だ。
夫婦で話し合った。何度も話し合った。

そんな時、絶対安静が解除される。
移住のこともあってか妻は友だちに会いにいく。
外を歩けるだけでも仕事にいくだけでも
寝続けるよりはうれしそうだった。

切迫早産

このまま問題なく出産を迎えられる。
そう思った矢先に医者から
子宮頸管が短いと言われる。
このままでは切迫流産の恐れがあると。

子宮頸管の長さは3センチほどだった。

切迫早産は風船に例えられる。
大きく膨らんだ風船の穴を
手のひらで握るのと指2本でつまむのとでは
どちらの方が空気が逃げないだろうか?
短いというのは力を抜けば
すぐにでも空気が逃げてしまいそうな状態を指すのだ。

この時で7ヵ月まできてはいたが
それでも大きさは1000グラム。
まだまだサイズ的には小さい。

またも妻は絶対安静を言い渡される。
2か月前の生活に逆戻りだ。

地方移住も妻の産休に合わせて
調整をする予定だったので
この時点ではまだ2か月も先だった。
慎重に選んでいたのもあって
移住相談センターや地元の役場と
やりとりはしていたが
まだ何も段取りが進んではいない状態だった。

もう後には引けない。

就活と住居選びを急ピッチで進める。
幸いにも望む求人と町営住宅の物件が見つかり
迷わず申請を進める。
毎日誰かしらと連絡をとっていた。

この頃で特に印象に残っているのは
妻が申し訳なさそうにしていたこと。

それはそうだろう。
誰だってこんな想いをすれば
「なぜ自分が…」と思うはずだ。

ただぼくにはそうやって悩む余裕すらなかった
唯一の希望はお腹の中で
子供が元気に動いていたことだ。

毎日毎日ひたすら声をかけていた。
顔をお腹がごしに蹴られて笑ったりもしていた。

地方移住

町営住宅は申請してすんなりと決まった。
ただ仕事の面接については
段取りは決めたがまだ決まってない。

妻は薬を飲みながら絶対安静を続けていた。
お腹はとにかく頻繁にはり続けていて
いつも苦しそうにしていた。

地方移住の相談を医者にしたが
この時点ではここからあと2週間が
医者の許す移動のタイムリミットだった。

東京から能登
飛行機で言えば一時間ほどだが
家から空港、空港から新しい家。
おまけにその前後は引越し作業まで控えてる。

仕事は決まってないが
迷ってもいられないので退職の以降を伝える。

引っ越しは業者に頼み出来る手続きのすべては
仕事をサボったりしながら
上手いこと調整することが出来た。

引越し当日は空港までタクシー。
空港では車椅子で妻を移動させた。
妻の友達がサプライズで来ていた。
このとき妻が泣いたことをぼくは覚えている。

何もかもが急に決まっていた。
別れを告げたい人にも会いにいけない状況だ。
仕事も突然出れなくなった。
1番もどかしい想いをしているのは妻なのだ。

自分がしっかりしなければと強く思った。

1度目の入院

引越しと地方移住はなんとか終わった。
恐れていたようなことも何も起きなかった。

ぼくは退職は伝えたが有給消化を入れても
まだ数日出勤が必要だったため1カ月の間に
3度、東京~能登の往復をしなければならなかった。
その間に妻を1人残さなければならず
不安ばかりだったが僕が不安をみせてはいけない。

仕事は幸いにも無事に決まった。
一日一日を超える度に
「ちゃんと前進はしている」
と自分に言い聞かせていた。

嫁は絶対安静を続けていた。
ただ子宮頸管はゆっくりと短くなっていた。

8月の中頃に医者から入院の話が出る。
2センチ台の長さは変わらないままだった。
ただこれに関しては悲観的なものではなく
今後のことを考える上での入院。

ようは錠剤で飲んでいたはり止めの薬を
点滴で直接取り込むことで効果をあげようというのだ。

まずは一週間。

これで頸管が長くなれば
切迫早産から抜けられる可能性が増える。

ただこれは入院中のほぼすべての間
点滴をし続けるということだ。
妻の戦いが始まる。

退院

点滴を指し続ける経験なんて
ぼくはしたことがない。

それを泣き言もいわず続ける妻に
ぼくは泣きそうになった。
腕中が跡だらけだ。
その腕をみたら辛くて仕方なかった。

妻の我慢と努力の甲斐があってか
子宮頸管の長さが変わった。

薬の効果が出たのだ。
あとは1カ月、自宅で安静にすればいい。
ようやくほっとできる瞬間がきた。

子供が元気にお腹を蹴っていた。
声かけは今も続けていた。

それからは1週間ごとに通院。
サイズを図る度に100グラムほど増えていく
子供の体重にひたすら感動していた。

仕事も始まった。
新生活がようやく始まった気がした。

2度めの入院

そこから1カ月はおだやかだった。
もちろん安静にはしていたが
今までのジェットコースターのような
毎日とはまったく違う日々だった。

そのうち安静も解けて家事程度であれば
妻がこなしてもよくなってきた。

ようやく地方に移住したことで味わえる
景色の贅沢さや食材の美味しさを
楽しめるようになる。

「移住してよかったよね」
そうやって言いあえる関係性に感謝していた。

もう9カ月が終わる。
あとは無事に産まれるだけだろうと思った。

そんなある日の深夜…

妻に叩き起こされる。
冷汗がすごくお腹を痛がっている。

…陣痛だ。

妻には悪いがニヤニヤしてしまった。
お腹の子にもう会えるのかと思ったし
急いで病院まで駆けつける。

どうやら前駆陣痛というものだったようで
陣痛ではなかったようだ。

それから数日はまた入院。
痛みが陣痛に変われば出産だが
妻の場合、痛みは完全に消えてしまった。

3度目の入院

医者が言うには子供が生まれるのには
新月か満月の時が多いらしい。
そして低気圧なども関係するらしい。

正直、話半分に聞いてはいたが
たしかに嫁が前駆陣痛で
入院したときは新月の夜だった。

ちなみに余談だが
子供が産まれた日は満月だった。
ほんとなのかもしれない。

それから妻は何かと痛みがあっても
我慢するようにしていた。
前駆陣痛のこともあったし
迷惑をかけられないと思ったのだろう。

ある日、腰が痛くて仕方ないと
唸っていた。

「これは来る。絶対来る。」

と言っていたが
これまた翌日にはなんともなってなかった。
もうすぐ10か月を迎える。
そこから2日後の検診の際に
その話を医者をし破水のチェックをした。

なんと破水していた。

陣痛があって破水する。
それが普通ではないらしい。
高位破水というもので
ちょろちょろと破水をしていた。

3度目の入院だ。

入院には僕らはもう慣れていた。

10/14①

午前中に連絡がくる。
お腹が痛い。と。
このまま陣痛に変わる可能性があるから
意識しておいてと妻に言われたのは
本当にどきどきした。

その一時間後に
「破水した」とだけラインがきた。

連絡すると話せるけど必死な感じだった。
病院には僕の母が行っていた。

仕事場から病院までは車で40分ほどの距離。
祖母が迎えにきて急いで病院へ向かう。

病室についた。
ものすごい激痛なんだろう。
痛みでまともに話すことすら出来ないでいた。

3分感覚を切った痛みなのに
分娩室にも運び込まない医者に
イライラとした。

ただそのイライラは
妻には絶対に見せてはいけない。
何度かナースコールをして
分娩室まで運んでもらった。

助産師さんが「子宮口が9センチほど開いている。
あと一時間くらいで開ききるからそしたら産むよ」
とぼくらにつげる。

初産だから平均10時間以上です。

なんて何度も聞いていたのに
こんなに早いのかと焦った。
陣痛から2時間ほどのことだ。
妻を励ましてる時間はあっと言う間だった。

10/14②

点滴をつないだ。
陣痛の波を図るためお腹にモニターをつないだ。

強い陣痛がきた瞬間にいきむ。

助産師さんと担当医が誘導しながら
その行為を何度も繰り返していた。

この時のことは正直覚えてない。
興奮というよりも妻の手を握り
出てくる瞬間をじっと待っていた。

血は沢山出ていたけれど
気持ち悪くなったりしなかった。
頭の毛が見えた瞬間

「もうすぐ葉月に会えるよ」

とだけ小さく呟いた。

このタイミングでアクシデントが起きる。
陣痛促進剤を入れるための点滴が
針を身体に残したまま外れたのだ。

腕は血まみれ。
騒然とする部屋。
それでもぼくは妻に
「大丈夫だよ」と呟いた。

本心ではそのアクシデントに
とてもイライラしていた。
けれどそこで怒っても仕方ないからだ。
妻を不安にさせてはいけない。
それだけを意識していた。

出産

無事に産まれた。

感動して嗚咽をこぼしながら
号泣するかと思っていたが
僕も妻も全く泣かなかった。
というか泣けなかった。

感動よりも興奮の方が近い感情で
生まれてきた子がもう可愛くて仕方なかった。
産まれる前まで陣痛の痛みで
ほぼ何も話せなかった妻が
普通に話せるようになっていたのが印象的だった。

妻のお父さんに電話をかけて
「母子ともに健康です。」
とだけ伝えた。

僕は親になったのだ。

あとがき

子供が産まれてから1週間。
ずっと不思議な幸福感で包まれている。

正直なところこの期間にもトラブルは
山のように積まれていて
黄疸…血糖値…母乳が出ない…など
困ったことは起こり続けている。

ただそれでもおむつを変えるだけで
抱っこをしているだけで
僕は嬉しくて仕方ない。
人生にはこんな幸せがあるのかと
この記事を書きながら感じている。

最後に。

「どうしてこの記事を残したのか??」

その理由は1つだけ。

不正出血、切迫早産…
そういったトラブルがあっても
元気に産まれてくる子供がいたことを
僕は今、不安に感じているあなたに伝えたかった。

半年前の僕ら夫婦の前には
正直なところ不安しかなかった。
でもそれでも元気に産まれてくることを
ただ信じ続けるしかなかったと思う。

あなたもきっと大丈夫です。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

ペロンチュ真純