オフィスペロンチュ2

30代サラリーマンに向けた飲み会でのみ輝くムダ知識をまとめてます

「本厄なんて…」伝統をバカにしてたぼくが厄払いをみて反省した話

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毎日おつかれさま!
超どうでもいい系ブロガーのペロンチュ真純です。

さて今日のテーマは「本厄なんて…」
伝統をバカにしてたぼくが厄払いをみて反省した話
です。

じつは付き添いではじめて厄払いをみてきました。
石川県の北の方にある須須神社というところまで。

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ぼくは現在32歳なので厄年は関係ないのですが
ちゃんとした厄払いは初めてみたので感動しました。

それで思い出したんですけど
ぼくが25歳の本厄のときに何があったかなと

振り返ってみるとぼくの人生において
一番辛かった時期がドンピシャでそこでした。

当時のぼくはそういう伝統にまったく興味がなく

初詣?お参り?ナニソレオイシイノ?

まじでそんな感じでした。

興味がまったくなかったですし
5円玉ひとつで神様に無理難題を押し付ける
その行為がもう大嫌いだったんですね。

そんなぼくが神社や寺にいくようになり
こうして厄払いをみて伝統って良いなと思えたり
受け取り方もいろいろと変化してきました。

今回はそんな伝統についてのエピソードです。

ぼくは無宗教

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まずこの話のときにハッキリとさせたいのは
あくまでぼくは無宗教だということ。

まあぶっちゃけ神社にお参りにいくのに
宗教に入ってるかどうかは
まったく関係ないことだわかってます。

もちろん人と話すときに宗教関係の話が
煙たがられるというのも理解しています。

ただ無宗教ですけどぼくは神社や寺は好きです

これも不思議なもんで25歳まで
そういう場所にはほとんどいったことなかったんです。

なんとなくいってわかったことは
その場所の雰囲気が大好きだったということ。

…はじめてひいたおみくじがで絶望しましたけど(笑)

それから毎年のように初詣はいろんな神社にいき
普通の日でも時間があいたら
いったことない神社をぷらっと散歩します。

ただそうなるためには
「嫌い」という感情が必要だったんでしょうね

本厄の力はマジですごい

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そして本題に戻ってきますが
ぼくが25歳の本厄のころをふり返ってみると

  • 住んでたアパートが突然、建て壊しになる。
  • 仕事が決まらず一か月ニートになる。
  • 借金を背負う。

このあたりがピークでした。

あまりのお金のなさに
ばあちゃんが癌になって手術をするときにも
「お前が帰って来ても迷惑になるから来るな!」
といわれる始末…。

それから

  • 集客できないのにバカスカとライブをする。
  • 決まったバイトもすぐサボるのでクビになる。
  • お金がなく米だけの生活の結果太る。

こんな感じで負のスパイラルに陥りました。

「これぶっちゃけただの自業自得だよね。」

はい完全にそうです。

ところがですよ。
この時期の怖いところは
自分が完全に悪いんじゃないの?
って思うようなことばかりなのに

今だったら絶対に選択しないようなことを
平然と選択していく精神状態だったことです。

なにかが憑いてたって思われても
仕方ないような感じというか…。

たとえば家が建て壊しになったとき

引越しのチャンスだ!

くらいに思えればいいんですけど

時間がないから適当に決めちゃえ!
で決めた家は雰囲気最悪。
ちょっと気分が悪くなるような要素が満載。

駅から近くて風呂トイレも別で楽器可物件。
都内でこれなら条件だけは最高だったんですが…

その変わり雰囲気が最悪。
これってどうなの!って普通はなりませんか?
ぼくはそこを即決で決めましたからね(笑)

今じゃ事故物件が安くて人気とかありますけど
ぼくはこのときの経験から雰囲気が重いとか
そういうのは絶対に選ばないようになりました。

なんでも自分次第っていうのはカンタンですけど
あらがえないものだってあると思うんですよ。

厄払いは投資だ

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今回、付き添いとはいえ厄払いをみたことで
厄払いは絶対にするべきだと思いました。

したorしない

このどちらかがいいかなんてのは
調べることができないのは当然ですが。

これをしたことで
「あのとき厄払いしたからこれで済んでよかったね。」
そう思えるだけで未来の自分は救われるわけです。

ようは厄払いとは未来の自分への投資なんです。

ぼくが今回この記事をかいて
当時は最悪だったって書いてますけど
厄払いをしないということは
まさにこういうことになるわけです。

今おもえば当時ちょっとでも
ピシッと背筋がたつように
おはらい1つでもしておいたら
気持ちがまったく違ったのかなと。

受け取り方ひとつで
物事って意味が変わりますからね。

神様がいるかいないかとか
そういうのは考えるのが好きな人や
信じる人に任せればいいと思いますけど

自分の穏やかな心に投資するという意味で
ぼくは厄払いはしたほうがいいと思いました。

最後に

さていかがったでしょうか?

これから厄払いは行こう!って思えたほど
厄払いの瞬間の雰囲気はとてもよかったです。

太鼓と音楽が止まった瞬間に
風がさっと通り抜けていって
神主さんの挨拶が終わると
また風が吹いてっていう自然の空気感が
まるで全部演出みたいな。
ちょっとしたコンサートでしたね。

…これはこれで罰当たりな表現かもしれませんが(笑)

こんな心地よさや清々しさのために
人はお寺とか神社にいくんでしょうね。

それではまた!

ペロンチュ真純